なぜ、京都に始皇帝が祀られている?「大酒神社」
筑波大名誉教授、谷川彰英先生の大ヒットの『地名の由来』シリーズ、京都編から「大酒神社」の項をご紹介いたします!
■大酒神社は由緒正しい、京都の神社
漫画『キングダム』(原泰久作、集英社)の影響でしょうか、始皇帝人気は急上昇しています。そんな始皇帝人気にあやかって、祀っている?
いえいえ、そんな話ではありません。れっきとした由緒正しい、京都の神社なのです。
広隆寺を出て映画村の方面に向かうとすぐ左手に大酒神社という小さな神社があります。神社の境内も小さく、社殿と呼べるものもなく、社務所もない。ふつうだったら見逃してしまう神社です。
ところが、この神社こそ広隆寺を創建した秦河勝を祖神とする秦氏の神社。太秦では絶対に欠かしてはならない神社なのです。この時代の歴史になると、専門家の力を借りなければなんとも解説のしようがありません。聞き取りをしようにも社務所もないのでどうしようもない。境内にある由緒書のポイントをまとめると、以下のようになります。
まず、びっくりするのが、祭神です。祭神は、
始皇帝(しんのしこうてい)
弓月王(ゆんずのきみ)
秦酒公(はたのさけきみ)
とあります。
なぜ秦始皇帝が祀られているのでしょう。これは専門家の説では、渡来人であった秦氏のルーツとして同じ「秦」を使っていた秦始皇帝にあやかってつけたのではないかということです。昔の人は本当にそう信じていたのかもしれないが、現代の私たちには理解しがたい話です。
「大酒」という神社名もめずらしいのですが、これは「秦酒公」の「酒」と関連あるのだでしょうか。もとは「大辟(おおさけ)」神社と書いていたそうであり、この場合の「辟」「酒」は境の意味だとの説もあるのです。
由緒書によれば、秦始皇帝の神霊を仲哀天皇八年(三五六)、皇帝一四世の孫、功満王(こうまんおう)が漢土(中国)の兵乱を避けて、日本の純朴なる国風を尊信し、初めて来朝、この地に勧請(かんじょう)したといいます。
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